神の王国に入る過程 pt5 by Dr. Myles Munroe

神の王国に入る過程

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“宝物の地図”という映画を見たことがありますか? 主人公が家族も安定も捨て、自分の命の危険を冒して宝物を探しに行く話です。”ただ、あそこに着けさえすれば!”という一心でです。神の王国はそのようであるとイエスは言っています。

イエスは、神の国は商人が高価な真珠を探しているようなものだと言っています。それを見つけたなら、全てを売って、それを買うようなものだと言っています。

私は毎週アメリカに行きますが、出会った人々にどこから来たのですか?と尋ねす。人々は、ダイアナ、ジャマイカ、ハイチなどから来たと答えました。”どうして、故郷を捨ててここに来たのですか?”と尋ねました。”15年前、ここに来た時、私は何も持ってませんでした。しかし、今は、車、ビジネスがあり、子供たちは、給付奨学金で学校に通っています。故郷ではこんなことは出来ないです。私の従兄弟も先月、ここに来ました。私の母を連れて来るように頼んだのです。” 神の王国でも、同じことをしたらどうですか?!

彼らは一度もブッシュ大統領に会ったことがないのです。興味もないです。アメリカに着けば、”明日は明日自身が心配する”だからです。彼らはたった一つの真珠のために、全てを売ったのです。彼らの遺産、歴史、国を断念したのです。

我々は的を外してます。イエスを売ってるのです。

イエスはただの一度も ”イエスは答え”だと言ってません。ですが、それを我々は歌ってます。彼は”私は道だ”と 言ってますが、”目的地だ”とは言ってないのです。

マタイ 6:9で、イエスはこのように祈りなさいと説いてます。そこでは、イエスが地上に来るように祈れとは言ってません。しかし、教会はイエスが地上に来るよう祈ってます。イエスはご自身ではなく、何か他のものを地上にもたらすために来たのです。

マタイ 6の9-11 “天にまします、われらの父よ、願わくば御名をあがめさせたまえ、御国を来たらせたまえ、御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。”です。 ”『イエスが地上に来ますように』と祈れ”とは言ってません

ルカ 22の29 “私の父が私に王国を授与してくださったように、私もあなたがたに王国を授与します。”  これは政治的声明です。どの政府も大使を任命する際、”授与”という言葉を使います。わたしが、イギリス女王から勲章を授与された時、威厳のある場所で、高貴な人々の立ち並ぶなか、私はひざまづきました。一人が私の肩の上に剣を置いて、”私はあなたに大英帝国の ORDER OF BRITISH EMPIREを授与する。”と述べたのです。同じ言葉を使用しました。エリザベス女王が私に大英帝国を授与したのです。立ち上がると同時に、私は別の人間になりました。私はバハマの貧困層の出身ですが、イギリス入国の際は、入管職員は私に敬礼をします。彼らは私を見ているのではなく、大英帝国を見ているからです。私を侮辱することは、大英帝国を侮辱することだからです。

イエスは言っています。”私の市民の一人をつまづかせる者は、ひきうすにロープを付け、首の回りに縛りつけ、海に投げ込まれた方が良い”と。

神の王国に入る過程 Pt6 by Dr. Myles Munroe

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