なぜ神の王国なのか Pt7 by Dr. Myles Munroe

神の王国のアイデアを理解する

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ギリシャ人は師匠を持ってました。”師匠”は重要な言葉です。ヘブル語で”ラボナイ”と言います。宗教の言葉ではありませんし、宗教家でもありません。”師匠”とはある特定の思想を教える先生のことです。その思想と言うのは信じるためのシステムです。

イエスが2千年前に来た時、ローマはギリシャを征服しましたが、図書館は焼き討ちにしませんでした。ローマ人はそれを維持し、もっと重要なことを行ったのです。ギリシャ人は思想家で、ローマ人は行動家でした。

たとえば、ギリシャ人は民主主義というアイデアを発明しました。しかし、ギリシャ人は決して民主主義の社会を持ちませんでした。それを考え、発展させただけです。そして、ローマ人が来て、それを適用したのです。そして、王国と結合させました。そして、世界を支配しました。彼らは世界を支配し、植民地化しました。それでギリシャ人の考えを広めました。あなたは今、ギリシャ人によって営まれている国に住んでいるのです。ギリシャ人の考えが国を支配しています。

今、ギリシャの崩壊、経済の失敗、内政失策などを聞きます。これは重要なことです。なぜなら、民主主義の源が失敗しているのを見ているからです。うまくいかなかったのです。輸出はありますが、うまくいってません。

さて、ラボナイは”師匠”のことを言い、その生徒を”弟子”と呼びます。弟子は学習者です。それゆえに、全ての師匠は信仰のシステム、理念を持ってました。

教えの理念の重要性

ですから、バプテスマのヨハネは”ラバイ”と呼ばれていました。なぜなら、彼はある教えの理念を持ってました。教えの理念とは何でしょう? 信仰のシステムですね。どんな信仰のシステムでしょうか? 聖書を読むと、それがパリサイ人の教えとは違うことがわかります。

マタイ 3章、ヨハネは師匠で、多くの弟子がいました。大きな学校です。その頃、学校というのは移動式でした。先生が村から村へ移動すると、弟子もついて行きました。先生が教えを始める時、先生は座し、生徒達はその回りに立ちました。そういうふうに弟子たちはヨハネに従い、イエスに従い、パリサイ人に従いました。イエスは言っています。”もし、私の弟子になりたいなら、全てを捨てて従いなさい。”

あなたたちの中には、私を慕ってバハマに来た人もいます。それは重要ではありません。あなたは私が持っている”考え”を追い求めて来たのです。教えの理念、信仰のシステムをです。それが、”神の王国”と呼ばれているものです。それがあなたをここに来させたのです。飛行機のチケットを買って、この島に来ました。師匠のあとについて来たのです。あなたはそれまでは他の誰かに従ってました。どこかであなたに何かを教えた誰かに。だがうまくいかなかったのです。

大学に従ってたでしょう? 4年間、4万ドルの授業料を払ったでしょう? どうしてそれだけのお金を教授に払ったのでしょうか? 彼らはあなたに真実を教えませんが、成績を付けるからです。

なぜ神の王国なのか Pt8 by Dr. Myles Munroe

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